シルフィリア 〜shilphilia〜
著者:shauna


シルフィリア=アーティカルタ=フェルトマリアの朝はとにかく重い。
時刻は朝の5時半。
小さな銀色の目覚まし時計がその大きさに似合わぬ音量で、けたたましく鳴り響き、その音で無理矢理意識を覚醒させる。
まずはいつも来ている寝間着の白い浴衣(一見死装束のように見えるが良く見れば水仙の刺繍が施されているのがわかる)の開ききった胸元を綺麗に合わせ、完全に出た足元を直す。
そして、気力だけでベッドから這い出て、近くにある一人掛けのソファに腰掛ける。これが意外と大変な作業で下手をするとベッドから転げ落ち、頭から床に突っ込むこともあるので注意が必要だ。
椅子にぐでぇーっと腰掛けたままもう一度シルフィリアはベッドの方を見つめる。
そこらへんの民家では見られない深い緑と半光沢の金の装飾が美しい、天蓋付きキングサイズベッドには多量のクッション以外にも枕が二つ程並んでいる。
ひとつはシルフィリアの物。もう一つはアリエスの物だ。
これはこの2人がただ主と使用人の関係では無く、恋人同士―それもかなり親密な―であるためだが、もう1年近くもこんな生活を続けているので特に意識することも無くなった。
そんなアリエスはとっくに起きて仕事に入っている頃だろう。
朝に強いと思われる彼は自分より1時間程早く起きて、尚且つ隣の自分を起こさない様に部屋を出て、4畳半程の専用更衣室に行き、いつもの白のワイシャツとグレーのベストの上に黒のドレスローブを着て完璧にアイロン掛けしたスラックスを穿き、よく似合う黒のネクタイをエメラルド付きの最高級タイピン―自分からのプレゼント―と共に首に巻き、庭先の掃除をして新聞を取りに行きその新聞をアイロン掛けした後に、この屋敷の掃除など雑用を管理する使用精霊(精霊の使用人)に仕事の指示をし、自分と彼の分の朝食を用意して、出来次第、部屋に持ってきてくれる。
ちなみにその間自分は何をしているかというと、根負けした目覚まし時計が止まるのを聞き流し、先程のソファに身を任せ、ぐったりとした姿勢で体が起きるのを待つ。
ちなみにこの姿はアリエスにしか見せたことが無いのだが、そのアリエスですら最初に見た時は何かヤバい病気にでも掛かっているのではないかと心配する程に酷い。
なにしろ、腕はだらりと重力を肯定しまくって下に落ち、背中は椅子からずり落ちて丸まり、口なんか当然半開き。
そして、最悪なのは目が半開きかつ、店先で売れ残った魚の方がまだ活力があるように見える程に死んだ目をしていること。
その姿は一見薬物中毒に見えなくもない。
現にアリエスに鏡を持ってきてもらってその姿を見たことがあるが、あれが自分だと絶対に信じたくない。
彼とは正反対で自分は低血圧&朝が苦手だ。
ともあれ、いつまでもこうしているわけにはいかないので40分程その状態を続けた後、2つ目の目覚まし時計が鳴るのを確認して、それを止めることもせず、顔を洗い、トイレを済ませ、再びソファへと戻る。
すると丁度アリエスが紅茶と朝食と新聞と今日の分の着替えを持って部屋をノックするのだがまだ眠いので、いつも通り特に返事もせず、アリエスが勝手に入ってきて、部屋のテーブルに朝食を用意し、自分をお姫様抱っこしてもらって席に着かせてもらう。
そして、毎日味が変わるアリエスオリジナルブレンドティーを飲んでアリエスの「おはよう。」という声を聞いてから一息ついて、やっと意識がこの世に降りてくる。
ちなみにこの間で自分は余程のことがない限り言葉を発することが無い。
仕事のある月曜から金曜までは大体これが毎日だ。
ちなみに定休日の土日ともなると、下手をしたら日が暮れるまでポーっとしたまま過ごすことが稀にあり、それでなくても午前10時までは爆睡だ。
どうだ!このダメ人間っぷり。自分でもきちんと自覚はある。
それから、完全に目が覚めた所で、アリエスに「おはようございます。」と返してから共に朝食を取り、アリエスから今日のニュースを聞いて、重要な所だけめちゃくちゃいい音で開く新聞に目を通し、アリエスから今日のスケジュールを聞いてアリエスが朝食等を下げると同時にシャワーへ直行し、下着も含めて服をすべて着替え、髪を梳かし、人と会う予定があれば、ホントに申し訳程度に化粧をする。
つまり、彼女の一日はアリエス無しには間違いなく成立しない。
 それについてはホントに感謝というモノを忘れたことがない。
 そして、毎朝、この行程を大体1時間半で終える。
 
 
 その後、シルフィリアはいつもの様に外へ出る。手には細身の木刀が握られている。
 いつもならここから約20分程は鍛錬の時間だ。
 もちろん、鍛錬といっても別に体を鍛える為にやっているわけではない。
 どっちかというと憎き敵、体重計との戦いに備えての鍛錬だ。
 リオレストといっても一日中熱い鍛冶場や作業場でスペリオルばっかり作っているわけではない。どちらかというと、図面を引いたり、税金の計算をしたり、魔導学会への報告レポートを書いたり、定例会議には出席したりもしなければならないため必然的にデスクワークの方が多くなる。
 なので、毎日少しではあるが体を動かすようにしている。
 そうでもしないと20年後30年後がものすごく怖い。
 おばちゃん体系になってアリエスに嫌われるのは最悪のパターンだ。アリエスを溺愛しているだけに別れるなんてことがあれば、下手をしたら精神崩壊するかもしれない。
 そんなわけで毎日5分の精神統一と15分の剣術の稽古は欠かしたことが無い。自分でもいい心がけだと思う。健康の為にも・・・
 しかし、今日はいつもとは少し状況が違った。
 庭には先客がいた。
 黒い髪を見た時、一瞬アリエスかと思ったが、アリエスの髪はもっと独特だ。端的に言えばボサボサというか、もっと撥ねている印象がある。
 確か彼は昨日泊めてくれと言って一般的な民家なら誠に非常識な時間帯訪れて来た名前を確か“アスロック”と言ったか?
どうやら素振りをしているらしく、十二月の空には彼の掛声が響いていた。
 「御精が出ますね。」
 シルフィリアににこりと彼に話しかけた。
 「あっ!おはようございます。」
 アスロックも剣を振る手を止めてこちらにお辞儀する。
 意外と礼儀正しい男だ。少なくとも見た目よりもずっと・・・
 シルフィリアもそれに深々と頭を下げて「おはようございます」と返す。
「朝食はもう済ませました。」
「ええ、えっと・・アリエスが俺の部屋まで運んできてくれったッス。量も多かったし、味も抜群で・・ありがとうございました。」
「いえいえ・・私は何もしてませんから・・。」
シルフィリアは遠慮がちに手をヒラヒラと振り、そして手に持った木片へと目を落とした。
 おそらく、ここらへんの森で拾ったものだろう。元はと言えば空気と水がきれいという理由で選んだ土地だ。樹なんかそれこそ数えられない程あるのだから、別に不思議なことではない。
 そんなことより、まず目を引いたのはそのグリップ部分の汗の痕だった。
 僅かなズレも無く、しっかりと手の形に付いた汗の痕。
 それはつまり、剣が少しもぶれることなく、鮮やかに振られていたことを表している。
 もちろん、そんな芸当は少なくとも半年やそこいらで習得できるものでは無い。おそらくはもう何年も・・少なくとも5年以上は剣に触れ鍛錬を欠かさなかったのだろう。
 そういえば彼の本名は“アスロック=ウル=アトール”とアリエスが言っていた気がする。アトール・・なるほど・・ガルス帝国の人間か。あの国出身なら腕が達つのも納得できる。まるで共食いの如き訓練法を受けてきたのだから。
 そして、ある一つの考えが自分の脳裏に浮かんだ。
 最近少し退屈していたし、おまけに一昨日の夜までは王家に献上する為のスペリオル創りのせいでかなり体も訛っている。
 彼なら相手には不足ないだろうし、たまには少し激しい運動もいいかもしれない。
 「一戦願えますか?」
 「は?」
 アスロックはものすごく動揺した。まあ、アリエス曰く、“剣よりもどっちかというとドレスとティアラの方が似合う”らしい自分がこんなことを言えば、余程のサディストかあるいは変人ぐらいしか喜んで受けて立つ人間はいるまい。昨日道に迷ったくだりを聞いた時には少し精神に病でも抱えているのではないかと思ったが、どうやらそんなことはないらしい。
 「どうかしました?」
 シルフィリアがそう聞くとアスロックは躊躇いがちに口を開いた。
「いいのか?俺は一応軍に身を置いたこともあるぞ。剣術だって昨日盗賊を30人ぐらい撃退したぐらいは腕が達つ。多分あんたじゃ相手にもならないと思うが・・・」
 相手のことを軽くバカにして、尚且つ軽く自慢を織り交ぜるのは彼の個性だろうか?まあ、嫌がらせならもっと陰湿で陰険なヤツも受けたことあるのでこの程度軽く受け流せるし、アスロックも別に悪気があって言っているわけではないだろう。その証拠に先程の言葉にも別に棘のようなものは感じなかったし・・・・
 「別に本気で戦おうと言っているのではありません。」
 一切気にせず話を進める事にした。
 「私も僅かながら剣術の心得があります。ですので軽い指導程度の試合をしていただければありがたいと思いまして。」
 「ああ・・そういうことか・・・」
 アスロックもそれを聞いて納得してくれたようだった。
 「では、始めましょうか?」
 シルフィリアは中段に剣を構え、軽い戦闘態勢を作る。
 アスロックも一度頷いた後に手に持った棒を構えた。
 そして、剣と棒の先が合わさり、一度カンッと乾いた音を立ててから2人が間合いを取る。
 こうして、2人の簡単な模擬戦が始まったのだ。



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